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人間の持つカオスと不条理性

経済学者の未来予測がよくはず
れるのはなぜか。世界的評価の
高い業績ある経済学者が、企業
経営に参加すると会社の収支が
逆にマイナスになるのはなぜか。
彼らの世界観の基礎にある前提
そのものが間違っているからだ
ろう。例えば与えられた一定の
客観条件や環境の元で、大多数
の一般人は、統計学的に計測可
能な確率的計算予測性の範囲で
行動しそのパターンは一定して
いると、彼らは考える。よほど
のバカでない限り、人々は合理
的に無駄のない、最短コースの
賢明な選択をする筈だと、彼ら
は考え、その予測のもとに学的
蓄積が学問として構築されてい
る。しかし人間は元々、不条理
な生き物
であり、合理的に考え
る習慣が身についていたり、科
学的に説明がつく、理論的整合
性に則って行動している人はむ
しろ少数派といってよい。教育
がある、ない、知性がある、な
いに関係なく、大多数の人間が
極めて不条理な行動へとつっ走
る。心の闇やカオス、最も原始
的な性衝動やどろどろした権力
欲、得体の知れない闘争本能に
支配され、時に予測外の緊急事
態やその人の人生総体及びすべ
ての人間関係・社会性をメチャ
メチャにしかねない異常な感情
発作と爆発を引き起こす。いか
なる権威や階級に属するも人間
である以上は例外たりえない。
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ニーチェ再読

ここしばらく多忙にして不調続
き。義理の父が今度は前立腺に
異常が見つかる。愛猫の腎臓病
に伴う健康不良。両者とも一進
一退ながら何とかクリアできた
のですが、両者どちらかにつき
二日に一度の頻度の高い病院通
いが続く。人と会う約束などい
くつかキャンセルせねばならず
潜在的には蟄居状態でした。

久しぶりにニーチェを再読。災
難が打ち続く病的非常時には何
もせぬのがよい、ただひたすら
時が過ぎ去るのを待つべしの蓄
積深き言葉。超人思想とか、ナ
チスに影響を与えた側面とかで
今日に至るも誤解されがちのニ
ーチェですが、彼独自の、他に
はない「病者の視線」持久戦・
消耗戦を戦う敢闘精神こそが重
なのであります。小林秀雄は
そこを理解できていた形跡があ
りますね。

死生学を考える

人間にとって死とは一体何かを
哲学的課題、臨床心理的問題と
して考えてみる。縁起でもない
と思われる方が多いことでしょ
う。しかし、この問題を専門的
に掘り下げる「死生学」という
学問分野があります。

一見、耐え難く悲痛であり異常
なことのように思える「死」と
いう出来事は、生物界におきま
して何億年という単位で新陳代
謝のごとく繰り返される自然現
象の一種であり、人間も生命体
である以上は誰しもが免れるこ
とができません。

ヒンドゥー教、仏教、キリスト
教をはじめとする普遍宗教の教
義的根底には、常に「死」に関
連する、謎めいた形而上学的諸
問題が横たわっております。

ショーペンハウエルは、その哲
学体系の中心において苦悩から
の解放としての「死の問題」を
見据えていました。一見厭世的
ニヒリズムのように見えますが、
小乗仏教やインド哲学の流れと
深い血縁的親近性が見られるの
であります。

「葉隠」を愛読していた三島由
紀夫は、死ぬ機会を逃した特攻
隊世代の生き残りとして「死」
を殉教美学にまで高めたかの如
き死臭漂う不吉な文学を書き続
けました。三島の作品において
は華麗で妖艶な場面においてさ
え常に死の影が揺曳している。
否、暗い翳りのある不吉さ、乾
いた血の臭いこそが三島作品の
有する最大の魅力だと言えるの
であります。

一個の人間の過ごす全生涯とい
う制約された時間は、誰しもが
例外なく常に「死」へと向かい
刻一刻と流れている。単に近親
者や自己の死の問題を、受け入
れ難い問題を受容するための臨
床心理学的な「心がまえ論」と
してのみ考えるのでなく死によ
って区切られた人生をいかに悔
いなく生きるのか、そのための
人間と人間相互の関係は常在的
にどうあるのがよいのか、死生
学の問題提起は実に奥深い
であ
ります。

上智大教授のアルフォンス・デ
ィーケン氏
という日本に帰化し
たドイツ人の学者が、この分野
で個別宗派を越えた普遍的かつ
堅実な仕事をしてきており「死
生学」のはらむ重要問題を深く
掘り下げて考えたい人にぜひお
薦めです。

参考文献)

「死とどう向き合うか」
アルフォンス・デーケン著

NHK出版(NHKライブラリー)

近親者などが「死」に直面した
場合へ向けての準備教育が集大
成されています。内容は具体的
で即、応用がききます。著者が
力説するのは「死」に至るまで
各自が悔いのない人生や人間関
係をいかに生きていくかという
尊厳深き「生」の側面でもあり
まして、読み方次第で意外に未
来志向な積極性をもそこから汲
み取ることが出来ます。

エピソード

父の死に附随する不思議な事柄

父が死の床にあった最後の日々
私は、父の手を取り万感の想い
を込めて「今までありがとう」
と言った。話すことも動く事も
出来ない父だったが、確かに目
と目で通じ合った一瞬があった
のです。父は次第に意識不明と
なり、次の日、あの世へと旅立
って行きました。

父が死んだ翌日、父の自衛隊時
代、幹部候補生学校時代からの
古い友人A氏から電話がかかっ
てきました。父、A氏と同様、
幹候時代からの共通の友人S氏
が、父と同じ日に亡くなったと
のこと。不思議な偶然にA氏は
痛く悲しむのと同時にまた大層
驚いてもおりました。

父が死んだ二週間後に、父と最
も親密だった父の姉が心筋梗塞
で亡くなりました。父が死んだ
日、ついこの間、私はこの方と
電話で話し合ったばかりでした

あの世に旅立って行った父は、
最も仲の良かった姉と親友を伴
いつつ、三人で語らいながら三
途の川を渡ったのかも知れませ
ん。合掌。

マルチン・ブーバー対話の哲学



本日の曲

Miles Davis -
Darn That Dream (1950)


マイルス・ディビスは、実験的
な後期のものより初期のものが
大好きです。特にこの曲。ひど
く疲れているときに聴きますと
癒しの効果抜群です。

さて本日のテーマ

私個人は実のところイスラム教
には深い興味を感じており、日
本人としてはじめてメッカに巡
礼し、中国の回教に影響を受け
独自のイスラム教理解を護持し
ていた田中逸平などにつき時間
を見つけては資料集、評伝等読
みふけっておりました。

ところで昨今、イスラエル政府
によるガザ地区・ハマスへの対
応姿勢、イスラム教シーア派へ
の異文化理解の方法論において
私個人は相当な生理的違和感と
異論を持つものであります。

その根拠となるべきものは戦前
の(元)ハルピン特務機関長・四
王天延孝中将の論説や、昨今の
通俗的陰謀論に見られるがごと
き反ユダヤ主義などでは全くな
く、むしろゲルショム・ショー
レムと並び私の深く尊敬するユ
ダヤ人思想家マルチン・ブーバ
の思想的営為から導かれる帰
結なのであります。

周知のごとくマルチン・ブーバ
ーは、カール・バルトやハイデ
ッカーと異なり、ショーレムと
も違う独自の宗教哲学=「我と
汝」の独創的「対話哲学」
から
導かれる解の公式を「人間対人
間」の関係から「神対人間」の
神学的問題群へ、さらには「民
族と民族」にまでわたる重層的
国家間の国際政治上の諸問題に
まで普遍化・適合化しようとし
て「二民族国家論」をとなえ、
ベングリオンをはじめとするシ
オニストたちと衝突するに至り
ました。

(モーリス・フリードマン著
「評伝マルチン・ブーバー」
ミレトス社に依拠)


異文化接触及び理解の仕方とし
てのムスリムへの接近事例では、
過去、キリスト教世界において
参照すべき重要人物が存在しま
す。ヨーロッパ中世の偉大な神
学思想家ニコラス・クザーヌス
は、隣人や隣接する民族の異な
る宗教や良心の自由を尊重し、
みずからもイスラム教を積極的
に学び、隣人としてのイスラム
との対話を押し進めました。

(坂本尭著「宇宙精神の先駆者
クザーヌス」春秋社)


今やイスラエルには一人のクザ
ーヌスもブーバーもいないので
はないか。現在のイスラエル政
府に欠けているのは、戦略的仲
介物を介した戦術上の統合やマ
キアベリ的計算に基づく融合を
前提とした「我ー汝」の関係で
はなく、「我」と「汝」が個別
化としてありつつも我」にと
って「汝」が唯一絶対の「現前
された他者」として相互を正当
に仲介物なしに「理会」(竹中
労)する、認識する、
ということ
その対話の精神と困難な異文化
理解へと向けたひたむきな努力、
場合によっては自ら無自覚な
「内なるオリエンタリズム」を
精査・点検することではないか
と思われるのであります。

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社会のモンスター化に関する考察3

授業中に私語する、スマートフ
ォンや携帯のゲームにはまる、
陰湿ないじめがはびこる等子供
社会の無規律ぶりも目立つが親
たちの非常識・異常行動もはな
はだしい。容易に想像がつくよ
うに純粋な子供への愛情が変形
したものではなく、肥大した自
己愛・親の自意識、満たされる
ことなき虚栄が、子供の中に欲
望達成の手段としての疑似代用
物(自己の似姿を投影しやすい)
を見い出している場合とかも数
多いのです。

これら社会現象の真の原因につ
きましては、戦後民主主義の根
幹に関わるイデオロギー的検証
も重要なのですが、古来からの
伝統的日本社会において人々の
モンスター化を防いでいたもの
は一体何だったのかを遡って考
えてみることが一つの有力なヒ
ントになりそうです。

昔はどうだったか。民俗学や伝
承を尊ぶ歴史学の流れの中には
数多くの証言が残されています

私なりに要約すると、昔は神政
統治とも称すべき伝統的ムラ社
会(社稷)における相互扶助シス
テム、緩衝器としての世間が、
なんらかの異常をいち早く察知
し、それを有効に抑止するバッ
ファー装置としてあきらかに機
能していた。

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