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父の思い出カテゴリー追加につきまして



本日の曲(文字をクリックする
と曲が聴けます)

日本海マーチ

日本海マーチ(別バージョン)

この曲は日本海大海戦の最初に
出てくる曲。作曲家佐藤勝の名
曲であります。日本海大海戦自
体は小学生4年生のころ父に連
れられ見に行った映画です。
撮の神様・円谷英二監督最後の
作品、戦争映画の傑作中の傑作

であります。東郷平八郎演じる
ところの三船敏郎が何よりすば
らしいですが、天才的な情報将
校・明石元二郎大佐を演じる仲
代達矢とか乃木希典大将役の笠
智衆も負けず劣らずしぶい演技

ちなみに以下その簡略な概要を
なす予告編です。

日本海大海戦予告

当時、子供心に印象が深かった
のですが、今見てもまた新たな
感動が湧いてきます。こういっ
た作品群は、父の勤務先であり
ました自衛隊や父方の祖父に関
するイメージと重なるのですが
どちらも楽しい思い出でいっぱ
いです。


父の思い出と題するカテゴリー
を左下にまとめてあります。こ
れからも少しずつ書き足してい
く予定です。

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玄洋社関連の資料・父・祖父・北九州


本日の曲(文字をクリックすると
曲が聴けます)

復興の歌ーーゲルニカ

戸川純の歌唱力もさることなが
ら作曲家・上野耕路氏のセンス
が光る

復興の歌・ライブバージョン

本日のテーマ

メインが那須塩原。ごくたまに
川崎。或る実務系の専門家ーー
法律家や建築士含めーーの関わ
る会が亡き父を表彰したいとの
こと。ありがたくも名誉なお話
です。父もこの会の参加者とし
て創立に深く関わる。

父はこの会を楽しみにしており
会にまつわる実務的話やエピソ
ード等を私も何度か聞かされま
した。ささやかながら老いてな
を世の中の役にたつ社会的役割
ーーその一端ーーを担っている
と息子に自慢したかったのでし
ょう。

父も祖父と実によく似ていて外
面はよかった。勤勉、まじめ、
世話好き。めんどくさいことを
進んで積極的に引き受ける。困
っている人たちの相談に乗る。
ぶらぶらしているより細々働い
ている時が実に幸せそうだった

過去自衛隊でも父の素朴な勤勉
さ、まじめさは多くの人に好ま
れた。ただし我々家族の知る父
は欠点だらけの人間。多くは語
りませんが・・・・・。

読書ーー久しぶりに黒龍會編著
「東亜先覺志士記傳」再読。帝
国主義時代における日本の対朝
鮮政策、大陸政策の野心的本質
が、馬鹿正直なくらい露骨に書
かれてあり、その意味で資料的
価値が高いのであります。デー
タの記述は意外に正確。全体を
貫く思想に関しては、当然批判
的に読む必要があります。同時
に頭山満、内田良平、武田範之
等大陸浪人たちの愛国的冒険奇
談には、この時代特有の或る種
血湧き肉おどる英雄主義とロマ
ン主義とがたぎっております。
これを魅力と云わずして何とい
う。おそらく、他の帝国主義諸
列強もその爬虫類的特質が五十
歩百歩だったに違いありません
しかし日本には亜細亜諸民族の
政治的覚醒・解放独立という遠
大なる理想が存在。これは歴史
的事実なのであります。

玄洋社関係の資料にも目を通す
頭山統一氏の著書、石瀧豊美氏
のものなど。前者は再読。頭山
氏は、頭山満氏の孫。偉大な祖
父の墓前にてピストル自殺した
とか。理由は解りません。その
著「筑前玄洋社」は、村上一郎
の「北一輝論」を連想させる情
熱的で緊迫した文体。名著だと
思います。なんでこんな世界に
心惹かれるのか。自分は九州福
岡にて産まれ幼少期そこにて過
ごす。明らかに父・祖父の家系
なども影響しております。その
意味で「玄洋社」は、私の文化
的遺伝子の一部かもしれず。

父に「玄洋社」のことを訊いた
ことはありませんが、多分、大
嫌いだった筈。その点、歴史に
関する私の好みは、父より祖父
により近いのかもしれません

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逆説としての右翼1

生前父が生理的に嫌っていたの
が右翼であります。深層心理的
分析を試みるならば、おそらく
旧帝国陸軍の確信犯的構成員・
軍人であった祖父への潜在的反
発があったものかと推測されま
す。勿論父も生前の祖父に対し
ては常日頃「オヤジはでたらめ
な人間だ」と批判しながらも一
定の敬意と愛情(とりわけ経済
的には)滅私奉公的献身をもっ
て接しておりました。しかし、
一方でーー色んな理由からー
ー複雑骨折したところの葛藤心
理があったのも事実なのです。

祖父は、基本的に親分肌であり
磁石みたいに強烈に人を惹きつ
ける人間的魅力を有しつつ反面
偏屈で変わり者だった。金も権
力も欲しくない、嫌いなことは
金を積まれても一切やらない、
自由に生きるのが一番みたいな
感じ。茶道における「わび」・
「さび」の美意識に傾倒、老荘
思想のごときものを信じており
仙人みたいな生活を理想とする
一方、家庭内ではどこか暴君に
近かった。

特に経済概念に乏しかったため
大勢の兄弟姉妹たちを養う必要
上祖父の代わりに父が社会的役
割を大幅に分担せねばならず、
終戦期と戦後の赤貧な一時期、
塗炭の苦しみを味わう結果とな
ったのであります。その点にお
きまして父はまことに悲劇的人
物でありました。

父は、右翼の中に、無意識裏の
投影として、祖父その人の映像
を見ていたからその見方には心
理的バイアスがかかっており公
平正確な見方とはいえません。
祖父は右翼体質の人間だったか
もしれないが、右翼がすべて祖
父と似ている訳ではない。

では右翼とは一体何か。考えれ
ば考える程、右翼とは実のとこ
ろ逆説に満ちた存在であります

トインビーも高く評価した歴史
家・竹越与三郎の強い影響を受
けつつ北一輝ほど鋭い皇国主義
史観の批判と独創的な天皇論を
提起した人はいない。大川周明
は国粋主義右翼という枠組みよ
りもグローバルなアジア主義者
により近い。玄洋社のイデオロ
ーグ権藤成卿は、その思想体系
が国粋主義右翼というよりもま
るでアナーキズムであります。
漢文調の硬質な文体は中国の思
想家みたいにも見える。権藤成
卿と深い繋がりのあった飯塚西
湖は、生前のマルクスと会った
ことのある唯一の日本人と言わ
れており、この飯塚経由でパリ
コミューンの思想的血脈が権藤
にも流れてきています。

石原完爾は関東軍の対満州政策
に関し、時事論的な分析的論理
の展開において、戦史の先例な
ども織り混ぜつつ、最も尖鋭加
激な批判者でもありました。満
鉄の思想家・橘撲なども、始終
一貫中国民衆の側に立って日本
の軍部や関東軍の動向、その背
後に蠢く実体などを手厳しく批
判していたのです。中江兆民の
息子で孤高の中国研究家、中江
丑吉と橘撲には、資質のみなら
ず親中国的な政治思想において
共通項がみられます(続く)

近況

那須塩原がメイン。時々川崎へ
仕事による精神的疲労がひどい
ため時々那須や喜連川近辺の温
泉に出かける。義理の父とも時
々話す。亡き父とほぼ同世代。
気質もよく似ている。戦争と飢
餓を体験した世代にて徹底した
平和主義者であることも共通項。
安倍政権の政策に批判的。オヤ
ジの四十九日に某先生からお花
をいただく。父の霊前に捧げる

父共々深謝。

父の部屋にてふと目に止まった
ノートに祖父の臨終の様子を書
いたメモ書き。霊魂の不滅、生
まれ変わりに関連する記述。父
は初歩的な科学解説書など好ん
で読む人にて寺の坊主が大嫌い。
オカルトめいたことは普段あま
り言わぬ人でした。あの世で何
か言っていそうで不思議です。

嶋野三郎のロシア正教に関する
解釈がおもしろい。ロシア人の
非西欧的アナーキズム体質が土
着宗教に起因することがよく理
解できる。ドストエフスキーの
「カラマゾフの兄弟」にあるゾ
シマ長老の物語や世俗権力と神
政権力の議論などもこれをベー
スに深読みしたらおもしろいか
も。何年かぶりにまたドストが
読みたくなる。

石郷岡健氏著「ウラジミールプ
ーチン」はロシア情勢を知る上
で第一級の教科書たりうる内容

オバマとプーチンでは、プーチ
ンのほうが役者が一枚上手の印
象です。オバマは外交音痴にて
その政治的手腕には明白な限界
がある様子です。安倍が本音の
部分ではプーチンと気が合うの
は確かでしょう。でも日米同盟
があるため慎重に動かねばなら
ない。綱渡りをやっている。な
かなか見事です。

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陸軍航空隊小月基地2



陸軍「屠龍」戦闘機

本日の動画(文字をクリック
すると映像が見れます)

川崎二式複座戦闘機「屠龍」

さて本日のテーマ

戦時中の陸軍航空隊小月基地に
関連した思い出話を生前の父が
おりにふれ語っておりました。

「空一面がまっ黒になるくらい
ものすごい数のグラマン戦闘機
やらB29が飛んできよった。
小月基地は陸軍特攻隊の拠点だ
ったので集中的に狙われた。機
銃掃射はされる爆弾は落っこと
される、毎日すざましかった。
バリバリバリバリとものすごい
音で機銃を撃ってきよった」

「グラマン戦闘機は強かったの
だろうかね」と私が質問する。

「グラマンは躯体がでかいだけ
でなくスピードも早かった。当
時小月基地には屠龍という大型
の迎撃機が配備されていてグラ
マンとよく空中戦をやりよった。
これまたものすごく大きい奴だ。
普通の戦闘機ではダメ。まるで
歯がたたない。屠龍でないとグ
ラマンが落とせなかった。」

父の家は小月基地のすぐ近くに
位置しており、海岸べりの防砂
林の中に屠龍をはじめとする多
数の陸軍戦闘機が保護色に塗装
の上巧妙に隠してあったという

「屠龍が空中戦でグラマンを撃
墜するたび、地上で見ていた人
たちの間で一斉に歓声があがっ
た。バンザーイ、バンザーイと
みんな飛び上がって大喜びしよ
った。」

敵にやられて火と黒煙を吹いた
屠龍が家の近くの砂浜に降りて
きて不時着しそのまま横転した

父の家族や近所の人たちがみん
な総出で様子を見に行った。

「大丈夫ですかーお怪我はあり
ませんでしたかーー」兵隊さん
に声をかけた。

「大丈夫です。御心配をおかけ
しました。ありがとうございま
す。起き上がれます」と言って
兵隊さんが機体からゆっくり這
い出てきたという。

パラシュートで脱出した若いア
メリカ兵が捕虜となった後、某
駅入り口近くの柱に縛りつけら
れ、さらし者にされている光景
を見たことがあると父は語った

「駅を通りかかった人たちが次
々にアメリカ兵を殴りつけてい
きよった。島国根性という奴で
当時の日本人はとりわけ野蛮人
だったのーー。ああいう残忍さ
は日本人に特有の恥部だのー」

「どうすることもできなかった
のかね」と私が問いかける。

「父ちゃんが見た光景だけじゃ
ない。日本中いたるところで似
たようなことが起きちょった。
アメリカ兵がパラシュートで降
りてきたところへみんな手に手
に鍬とか鎌とか棒なんかを持っ
て行き寄ってたかってぶったた
いて殺害したなんて話はざらに
聞きよった。当時はそれが当た
り前の日常風景よ。そういう時
代だったのだ」

「なんだかひどい話だね」と私

父が答える「やっぱ日本は戦争
に負けてよかったよ。勝つとか
勝たないまでもあのまま戦い続
けていたら軍人が威張りくさっ
て、とんでもない世の中になっ
とったな。天皇陛下が戦争を終
わらせた。やっぱ天皇陛下は立
派な人だったのーー。天皇陛下
のあの一言がなかったら、日本
は何十年たった今でもアメリカ
と戦い続けとったかも知れん。
戦後の平和な日本を創れたのは
国民ががんばったのもそうだが、
元をただせばみんな天皇陛下の
おかげなんだよ。みんなよく解
っとらんのだよ」

あくまで父の考えだとこうなる
のでした

陸軍航空隊小月基地1

現中国東北部旧満州奉天に居住
していた祖父・祖母・父それに
9人の兄弟姉妹たち含めた家族
一堂は、終戦の一年前、山口県
の下関へと住居を移しました。

下関近郊小月に陸軍航空隊の拠
点があり、これから特攻隊の基
地を造成するのだという。建築
設計技師が急遽必要ということ
で在満の祖父にも内地帰還の召
集がかかったという訳です

「はじめて下関に着いた時○○
少佐殿とオヤジの名前を大きく
書いたのぼりを持った兵隊さん
が駅のプラットフォームまで出
迎えにきてくれよった。軍隊式
のハキハキした大きな声で挨拶
してくれよったよ」と父の回想

「奉天在駐のオヤジの所属しと
った部隊は、その後終戦間際に
中国軍と戦って全滅したらしい
のーー」

「戦った相手は毛澤東の八路軍
かね」と私が質問する

「いや違う。蒋介石の国民党軍
と戦ったらしい。父ちゃんたち
家族も日本に戻るのが、もう少
し遅れとったらどうなっとった
かわからん。当然、オヤジも死
んどった筈だし、家族も離散し
て悲惨な運命をだとったかも知
れんなーー」と父の答。

「小月に陸軍航空隊の基地があ
って特攻隊の訓練をやりよった
その影響で、毎日のようにもの
すごい数のアメリカ軍のグラマ
ン戦闘機が飛んできて、あたり
一帯機銃掃射していきよった。
怖いなんてものじゃなかった。
みんな庭先の防空壕にもぐりこ
んでガタガタふるえとったよ」
続く

近況

父の死から一ヶ月。少しずつ落
ち着きを取り戻しつつあり。那
須塩原地方は極寒。時々川崎に
滞在。ロシア研究者の先駆け嶋
野三郎の著書を読みふける。イ
スラムにも造詣が深い。北一輝
や大川周明とも交流があったと
いう。何年かぶりに布野修司氏
の建築論・都市論等再読。以前
読み飛ばしていた小さな注釈に
東京論の富田均の名前。さっそ
く調べてみる。

富田均はきわめて興味深い著述
家兼映像作家。モントリオール
国際映画祭優秀賞を受賞した氏
の作品「ガラスと鏡」に東郷和
彦氏・茂彦氏の両兄弟出演
とあ
る。ぜひ見てみたいものです。
プロフィール

栃木の仙人

Author:栃木の仙人
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