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森林生態学と神聖権力4


本日の曲(文字をクリック
すると曲が聴けます)

Duran Duran
A View To A Kill
(007 version)


007バージョンというのが
しぶい。デュラン・デュラ
は、個人的に大好きなグ
ループでありまして、楽曲
もさることながらミュージ
ッククリップビデオがなか
なか凝っており耽美的。す
ばらしいです。

Duran Duran
All She Wants Is


上記は私が特に気に入って
いるミュージッククリップ
ビデオ。シュルレアーリズ
ムの画家ポール・デルボー
の絵画を想起させる幻想的
な雰囲気です

Duran Duran
Union Of The Snake

以前紹介したことのあるミ
ッシングパーソンズのギタ
リスト、ウォーレン・クク
ルロがミッシングパーソン
ズ解散後デュラン・デュラ
ンに参加しております。

さて本日のテーマ

森林生態系を自然あるがままに
保持保全するには、本来自然の
意図する「超越的意志」を未然
に読みとって、それに沿った形
で、人為=人間の手が、あらか
じめ先手を打って迅速な技術介
入を行い、しかも明確な痕跡を
何ひとつ残さず生態系本来の多
様な自然的諸機能を高めていく、
という高度なオルタナティブテ
クノロジー的分業
・それも細密
な時間差分業型高機能労働が必
要とされてきます。

科学的に見て最も正しい生態系
保全のあり方に「神懸かりのお
告げ」による超越的審判が要請
され、結果として最も正しい合
理的予定調和へと導くためには
逆説的なことに、迂遠な分析理
性や煩雑なスコラ議論よりも非
合理な神秘主義的超越論やとき
に現世利益的にして迷妄かつ卑
賤な民衆信仰こそが、最も直接
的かつ強力な推進役となる。

予言者サヴォナローラを焼き殺
しムッソリーニを逆さ吊りにし
た民衆の非条理性カオス、その
混沌たる狂信のエネルギーを決
して甘く見てはならないのです
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近況と最近の読書



本日の曲(文字をクリック
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Steppenwolf
Born to be wild 1969


Born to be Wild

Born To Be Wild
and Easy Rider


ステッペンウルフの名曲中
の名曲です。あまり洋楽に
詳しくない人でも一度は聴
いたことある筈。映画イー
ジーライダーの主題曲とし
て世界的に有名。何度見て
も聴いてもカッコいいこと
この上なし。ステッペンウ
ルフなる名称の起源となっ
たヘルマン・ヘッセ作「荒
野の狼」は、「シッダルー
ダ」と並び私の大好きな小
説です。

さて本日のテーマ

近況ーー多忙な生活の合間をぬ
って近辺の温泉に出かける。冬
の天然温泉は、なかなかすばら
しいです。食品添加物に関連す
る書籍、ニンニクや生姜、人参
ジュースなど体によい食材の研
究本、資料、論文なども継続し
て読み漁る。これには実践が伴
っておりまして、特製の醤油だ
れに、生ニンニクのスライスし
たもの
を漬け込みつつ毎日食べ
ております。有効成分アリシン
により、体全体から強烈な悪臭
が放射状に漂っている筈ですが
しばし直接人と会う予定がない
時はこれを積極的に実践するこ
とに。エコロジー関連の概説書
マルクスの資本論に関する研究
書なども併読。宇野弘蔵を薦め
る私とほぼ同世代の知識人がい
るが、スミスを整理するリカー
ドみたいに、マルクスを整理す
る宇野弘蔵と言い切れるのかど
うか。むしろ、日共系の学者や
雑誌のほうが、偏向なき解釈と
思えなくもない。景観論や環境
生態学とのからみで東郷和彦氏
の著書も再読。保守系では最も
良識的な知識人だと思われます。
橘孝三郎や権藤成卿、橘樸など
も再読。橘樸の中国研究には今
だ教えられるところが大きい。
橘孝三郎は初期の農業に関する
論考と神武天皇論をはじめとす
る後期の著作を併読する。右翼
政治思想におけるエコロジー文
を発掘することができそうで
す。トルストイや白樺派とか、
この人もひょっとして影響を受
けている感じなのですね。きっ
とピュアな善人だった可能性が

森林生態学と神聖権力3


本日の曲(文字をクリック
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Talking Heads
Remain In Light
[Full Album] (1980)

Once In A Lifetime

トーキングヘッズは、私が
20代の前半ごろよく聴いた
グループです。アフリカの
土着的民族音楽とロックの
独創的融合という感じです。
私見ではありますが上記ア
ルバムこそ彼らの最高傑作
かと思われます。

さて本日のテーマ

森林生態系と神聖権力との最適
ベストな相互補完作用という理
想型のイメージとしましては、
たとえば昭和天皇の生物学、植
物学研究とそれに付随する詳細
な観察・記録など広範囲な収集
活動によって掘り起こされ保全
されたーー地理的に限定されて
はいるもののーー稀少な自然生
態系といった事例が挙げられま
す。よく知られているように昭
和天皇は、神道の統括的祭司で
ありーー宮中の様々な儀礼的神
事を神秘主義的歴史文脈から客
観的に解釈・判断するにーー或
る種のシャーマン型祈祷師であ
るのと同時に私人としましては
見識ある地道な科学者でもあり
ました。

伝統に則った古来からの重厚な
天皇的文化のあり方が、日本独
自の神道としまして権力」と
は区別されるべき「権威」の統
括システム
を有し、社会や自然
に対するにゆるやかな調和的統
合的作用をもたらしてきた事実
は、スターリン・ブハーリン要
綱を始めとする国際コミンテル
ン32年テーゼ及び彼らが射程
としてきたカイゼルやツァーの
抑圧的権力と天皇制との比較論
考における際だった異質性、そ
こにおける根本的な誤謬ーー日
本には彼ら共産主義者たちが夢
想するがごとき反動的専制君主
は存在していない、彼らの王政
批判を日本の天皇制にスライド
させるのは間違いであるーーを
も浮き彫りにしてきました。

森林生態系の保全には隠れた手
とも称すべき人間の技術的介入
が必要であり、見事に巧妙な保
全の技が科学技術の一種である
以上、細密で能率的で賢い分業
を必要とするのは当然でありま
す。その分業における各個各自
の分担がいかに機能的かつ有機
的に連結しているか、その連結
のスピードと組み合わせで保全
に落差が生じてきます。実は分
析理性の即時的判断からは保全
の最適案は導き出せない。それ
は一体何故なのでしょうか?

資本主義工業生産過程における
分業は、局所的なものへと専門
分化する遠心力及び組み合わさ
れて全体と化す求心力として一
挙同時的に働き、分業は、たと
えそれが零細の家内工業的なも
のであったとしましても、バラ
ンサーとしての指令的統合機構

を必要とします。しかし、その
統合機能が資本や科学の枠から
価値観的に出ないとき、無制限
無規律な労働力商品化、国籍国
境を越えて飛び回る国際金融資
本への隷属、物神崇拝という資
本の無政府状態、カオスへと投
げ込まれざるをえない。

極めて独創的な右翼思想家であ
るところの権藤成卿が、かつて
君民共治論で描き出してみせた
ような、バランサーとしての社
会統合機能としての天皇=原始
シャーマニズム的心性のもたら
す神聖権力ないしは神聖権威、
これが果たして天皇以外で可能
だろうか。もし可能だとして森
林生態系の保全活動に一体それ
がどう役立ちどう関与できるの
でしょうか(続く)

森林生態学と神聖権力2



本日の曲(文字をクリック
すると曲が聴けます)

MC Hammer
- 2 Legit 2 Quit

MCハマーにおいてはラップ
音楽に付随する身体表現が重
視され、ダンスが極限にまで
発達しきった印象です。その
後、ハマーはキリスト教の説
教師になったという。どこか
底辺でうごめく肉体労働者の
悲哀のようなものが漂ってお
ります。

もう一曲

Here Comes The Hammer

さて本日のテーマ

森林生態系の保全及び適正管理
には、自然と密接不可分の交易
・交換・交通的利害関係にある
人間社会の持つ「公共的経済概
念」のさらなる革新的進化形が
必要とされます。行政などから
めた従来の公共概念では、法整
備上や実務面のみならず全体と
として不十分であり、もはや通
俗思想どうしの競合プロセスを
も超越した神権的概念、つまり
神聖権力の強力介入の要請段階
に来ている
、というのが私独自
の考えです。

橘孝三郎や権藤成卿的な右翼農
本主義天皇イデオロギーとして
の皇道エコロジーであれ、或は
ディープエコロジーであれマル
クス的環境生態学であれ、ある
いはエコファシズム、エコロジ
ーの商業資本主義的適応とグロ
ーバリズムへの屈服・迎合であ
れ、その議論のスピードが、地
球環境保全に間に合う強制実力
行使の力量と技術基準を兼ね備
えておればーーいささか乱暴だ
がーーひょっとしてそれら有象
無象の政治的復権もありなのか
なと思うのであります。

思想の内実はともあれ現実的実
効性の基準で捉えるならば成果
をあげた思想こそが正しい思想
だと言える。福島の原発事故と
昨今の気象変動も含めた環境の
異変は危機的状況の推移を示し
ているのでありまして、従来の
枠に囚われぬ成果検証とそのた
めの試行錯誤をも必要としてお
ります。

熟慮を尽くした上での最終手段
として、思想の競合プロセスと
してのスコラ的議論の一時中断
意図的な判断停止・思考中止状
態に伴う神聖権力の介入という
新段階が次にやってこざるをえ
ない。ハーバマスがどうの公共
哲学がどうしたの、無力でガラ
クタな遊技的議論を繰り返すの
をやめる時期でしょう。

「山全体に神様が宿っている。
みだりに許可なく生き物を殺害
したり、樹木を伐採した者たち
には祟りが訪れる」
式の神聖権
力型の超越論テーゼが再検討さ
れてみるべきだと思うのです。

だが果たしてそれはどんな形の
一体何による超越論なのか?
(続く)

プロフィール

栃木の仙人

Author:栃木の仙人
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