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第二権力の生成とその粛清



本日の曲
(文字をクリックすると曲が
聴けます)

Osmond Brothers
-Movin' Along

オズモンドブラザーズは、私
がごく幼少の頃、TVでやって
いたアンディ・ウィリアムズ
ショーで見た記憶があります
日本の沖縄出身のグループ、
あの古典的に有名なフィンガ
ー5に影響を与えており、な
かなかすばらしいです。

さて本題。

第二権力の生成とその粛清

北朝鮮で執行された例の粛正事
件、ごく普通の感覚を持った一
般の人たちから見ると背筋が凍
る類の恐ろしい異常な話かも知
れません。しかし、世界史・日
本史を問わず歴史をひもとけば、
第二権力の生成を第一権力がい
ち早く察知し未然に粛正した事
は数多く枚挙にいとまが無い
ほどであります。

ヒトラーが、SA(突撃隊)最高指
導者エルンスト・レームとその
幕僚たちを粛正した時、ドイツ
の伝統的国防軍をとるか、忠誠
心は高いがアナーキーな準軍事
組織である突撃隊をとるか、ぎ
りぎりの二者択一を迫られ、苦
渋に満ちた政治的決断の結果だ
った

レームは、クリスチャン・ウェ
ーバー博士やヘルマン・エッサ
ーら初期の同志たちと並び、ヒ
トラーが「俺・お前」で呼び合
える数少ない親友の一人でした
(ヒトラーお抱えの建築家で後に
軍需相も務めたアルバート・シ
ュペアーの回想録による)

レームは、軍事学上におけるヒ
トラーの教師でもあり、ナチス
党第二の実力者として、ヘルマ
ン・ゲーリングやヒムラー、ゲ
ッペルスたちのライバルでもあ
りました。やむをえない決断を
したとはいえ、ヒトラーがレー
ムや取り巻きの幕僚、突撃隊そ
のものを愛していたのは確かで、
ギリギリまで苦悩し続けたのは
まぎれもない事実であります。

しかし、一旦決断して後の行動
は冷酷非情にして迅速だった。

レーム粛正事件の後「まるでギ
ャングみたいな所業であり一国
の首相とは思われない」と批判
したイギリスの高名な歴史家ア
ーノルド・トインビーをヒトラ
ーはベルヒガスガーデンの山荘
に招待し、約2時間にわたり、
歴史上の事例に立脚した持論を
滔々と語って聴かせたという。
(アーノルド・トインビー回想
録ーー交遊録による。トイン
ビーはヒトラーの該博な歴史
的知識に驚嘆している)

レームが粛正された最大の原因
は、ドイツ国防軍と突撃隊との
確執でしたが、もう一つ要因を
挙げるとするならば、レームの
持つ超過激な政治思想という側
面もあります。ナチス党内最左
翼とも称すべき、共産主義と紙
一重の革命思想を信奉し、第二
革命の必要性を強硬に唱え続け
ていた。柔軟性を欠くという以
外では、実のところグレゴール
シュトラッサーやゲッペルスと
非常に近かったのであります。

第二権力の生成と粛正というテ
ーマに関連する事例としまして
は、スターリンとトハチェフス
キー元帥との関係、ブハーリン
カーメネフの粛正、トロッキー
の追放と暗殺指令、毛澤東と林
彪、劉少奇との確執及び粛正、
西南戦争における大久保利通・
伊藤博文一派と西郷隆盛との対
決、昭和天皇と二・二・六事件
をめぐる青年将校たちとの関係
とりわけ秩父宮と昭和天皇との
政治的対立などがあります。

今回の北朝鮮における政変に関
しましては、金正恩の処置に関
し、道徳的人道主義的見地から
でなくむしろマキアベリのごと
き冷厳な戦略論戦術論的リアリ
ズムの立場に立脚しつつ辛口の
批判的意見
を持っているのです
が詳細はまた後ほど述べさせて
いただきます。

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