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陸軍航空隊小月基地2



陸軍「屠龍」戦闘機

本日の動画(文字をクリック
すると映像が見れます)

川崎二式複座戦闘機「屠龍」

さて本日のテーマ

戦時中の陸軍航空隊小月基地に
関連した思い出話を生前の父が
おりにふれ語っておりました。

「空一面がまっ黒になるくらい
ものすごい数のグラマン戦闘機
やらB29が飛んできよった。
小月基地は陸軍特攻隊の拠点だ
ったので集中的に狙われた。機
銃掃射はされる爆弾は落っこと
される、毎日すざましかった。
バリバリバリバリとものすごい
音で機銃を撃ってきよった」

「グラマン戦闘機は強かったの
だろうかね」と私が質問する。

「グラマンは躯体がでかいだけ
でなくスピードも早かった。当
時小月基地には屠龍という大型
の迎撃機が配備されていてグラ
マンとよく空中戦をやりよった。
これまたものすごく大きい奴だ。
普通の戦闘機ではダメ。まるで
歯がたたない。屠龍でないとグ
ラマンが落とせなかった。」

父の家は小月基地のすぐ近くに
位置しており、海岸べりの防砂
林の中に屠龍をはじめとする多
数の陸軍戦闘機が保護色に塗装
の上巧妙に隠してあったという

「屠龍が空中戦でグラマンを撃
墜するたび、地上で見ていた人
たちの間で一斉に歓声があがっ
た。バンザーイ、バンザーイと
みんな飛び上がって大喜びしよ
った。」

敵にやられて火と黒煙を吹いた
屠龍が家の近くの砂浜に降りて
きて不時着しそのまま横転した

父の家族や近所の人たちがみん
な総出で様子を見に行った。

「大丈夫ですかーお怪我はあり
ませんでしたかーー」兵隊さん
に声をかけた。

「大丈夫です。御心配をおかけ
しました。ありがとうございま
す。起き上がれます」と言って
兵隊さんが機体からゆっくり這
い出てきたという。

パラシュートで脱出した若いア
メリカ兵が捕虜となった後、某
駅入り口近くの柱に縛りつけら
れ、さらし者にされている光景
を見たことがあると父は語った

「駅を通りかかった人たちが次
々にアメリカ兵を殴りつけてい
きよった。島国根性という奴で
当時の日本人はとりわけ野蛮人
だったのーー。ああいう残忍さ
は日本人に特有の恥部だのー」

「どうすることもできなかった
のかね」と私が問いかける。

「父ちゃんが見た光景だけじゃ
ない。日本中いたるところで似
たようなことが起きちょった。
アメリカ兵がパラシュートで降
りてきたところへみんな手に手
に鍬とか鎌とか棒なんかを持っ
て行き寄ってたかってぶったた
いて殺害したなんて話はざらに
聞きよった。当時はそれが当た
り前の日常風景よ。そういう時
代だったのだ」

「なんだかひどい話だね」と私

父が答える「やっぱ日本は戦争
に負けてよかったよ。勝つとか
勝たないまでもあのまま戦い続
けていたら軍人が威張りくさっ
て、とんでもない世の中になっ
とったな。天皇陛下が戦争を終
わらせた。やっぱ天皇陛下は立
派な人だったのーー。天皇陛下
のあの一言がなかったら、日本
は何十年たった今でもアメリカ
と戦い続けとったかも知れん。
戦後の平和な日本を創れたのは
国民ががんばったのもそうだが、
元をただせばみんな天皇陛下の
おかげなんだよ。みんなよく解
っとらんのだよ」

あくまで父の考えだとこうなる
のでした
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